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研究室の歩み


1990年(平成2年)4月、当時の武蔵彬彦主任教授のもとへ、菅原一幸が助教授として京都大学薬学部から赴任し、現在の研究テーマであるプロテオグリカン(Proteoglycan)グリコサミノグリカン(Glycosaminoglycan)の研究を本学でスタートした。

菅原は、京都大学薬学部の学部と大学院(生物化学教室・山科郁男教授)で糖タンパク質(Glycoprotein)の研究を行い、博士課程修了後、1976年7月、アメリカ・シカゴ大学小児科の生化学教室(Albert Dorfman教授、Nancy Schwartz助教授)に留学し、6年間、ヒアルロン酸の生合成、コンドロイチン硫酸の生合成における硫酸化、代謝病(活性硫酸の遺伝的欠損マウスであるbrachymorphic mouse)プロテオグリカンの構造の研究を行った。1981年4月に帰国して、京都大学薬学部生物化学教室(山科郁男教授)の助手に採用され、培養癌細胞におけるグリコサミノグリカンの低硫酸化の研究、コンドロイチン硫酸の硫酸化に関わる硫酸基転移酵素の研究、留学中に発見したプロテオグリカンの糖とタンパク質の結合領域の硫酸化の研究を続けていたが、1990年4月に本学に赴任し、それらの研究を発展させる機会を得た。

1991年(平成3年)4月に、山田修平が京都大学薬学部・大学院修士課程(川嵜敏祐教授)を修了して、助手として赴任した。1992年(平成4年)3月、武蔵教授が退官された。1994年(平成6年)4月には、京都大学薬学部・大学院博士課程(山科郁男教授)修了後アメリカのCytel社(Dr.James Paulson)へ留学し、シアル酸転移酵素の分子クローニングと遺伝子解析に従事していた北川裕之が3年間の留学を終え、講師として赴任した。1995年(平成7年)7月には、山田修平が「硫酸化グリコサミノグリカンの微細修飾構造の解析」の研究で京都大学から博士号を取得した。また、本学・当研究室出身の津田博美('92.4〜'96.3)と木下亜希子('96.4〜'98.12)がそれぞれ助手を務めた。2000年(平成12年)4月に、三上雅久が京都大学大学院薬学研究科・博士後期過程(伊藤信行教授)2年次修了の時点で助手として赴任し、現在の職員の人員構成となった。2001年(平成13年)10月から2003年1月の間、山田修平がスウェーデン王国ウプサラ大学バイオメディカルセンター(Ulf Lindahl教授)へ留学した。2002年(平成14年)7月には、三上雅久が「糖転移酵素と構造類似性を示すシグナル分子、Fringe、の発現とその作用機能に関する研究」で京都大学から博士号を取得した。 1991年から2002年の間、毎年約10名の卒業研究の学部学生を収容し、これまでに34名の大学院修士課程の修了生と2名の博士課程の修了生を送り出している。また、最近では韓国、インド、中国からのポストドクターやタイ国の大学院生を加え、国際的な活動を展開している。